和田越え決戦 西南の役
わだごえけっせん せいなんのえき
明治10年(1877年)2月に現在の熊本、大分、宮崎、鹿児島において西郷隆盛を盟主として、明治政府に対する士族の反乱である「西南の役」が勃発しました。
そしてこの延岡も戦場となったのです。
明治10年8月15日、「和田越」において西南の役最後の決戦が行われました。
この「和田越の戦い」では初めて西郷隆盛自身が陣頭に立ち兵を指揮しましたが、圧倒的な兵力を誇る政府軍に対抗できずに大敗を喫しました。
この敗戦を受けて西郷は、軍の解散を決めました。
そして政府軍の包囲網をくぐり抜け鹿児島に帰陣する為に、可愛岳の険しい山道を突破したのです。
戦場跡には「和田越決戦史碑」と野口雨情が敗れた薩軍を偲んで詠った「逢ひはせなんだか あの和田越で 薩摩なまりの落人に」の詩碑が立っています。
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