岩熊井堰 美田を拓く
いわぐまいぜき びでんをひらく
江戸時代中ごろの享保年間、時の藩主牧野貞通が家老藤江監物の賢策を聞きいれ、当時「ひばりの巣」と言われていた荒地の多い出北の農民に、水を届けるために大工事を行ないました。
しかし工事は難行し反対派から非難を受け、監物父子は反対派の工作により投獄され牢の中で亡くなったのです。
ですが、工事責任者の江尻喜多右衛門が監物の遺志を継いで工事を続け、11年の歳月をかけて岩熊井堰を創りあげたのです。
堰の長さは約260mにも及び、出北までの用水路の長さは約12kmもある、江戸時代のものとしては屈指の規模で、多くの農民がこの岩熊井堰の恩恵を受けました。
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