守りも堅し 千人殺し
まもりもかたし せんにんごろし
城山の北大手門の階段を上がったところに高さ22mの壮大な石垣があります。
延岡城の二の丸から本丸への侵入を防ぐため、また銃火器を使用した近代戦に対応するために、慶長3年(1603年)、時の藩主高橋元種が築きました。
礎石を外すと、たちまち全ての石垣が崩れ、一度に千人の敵を殺すと言われたところから、「千人殺し」の名がつけられたと伝えられています。
明治4年(1871年)の破城令によって、建物のほとんどが取り壊されましたが、千人殺しをはじめとする石垣等の遺構は大部分が健在であり、当時の面影を偲ばせます。
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