野口遵 新興の母
のぐちしたがう しんこうのはは
現在の旭化成延岡工場の前進である日本窒素肥料延岡工場が操業を開始したのが、大正12年(1923年)10月でした。
延岡市の豊富な水と電力に目をつけ、最新式の技術を導入して新工場を建設し、現在の工都延岡の礎を築いたのが野口遵です。
この時、野口遵は世界で初めてカザレー式アンモニア合成法の工業化に成功しました。
野口は旭化成の創業者であると同時に、日本の化学工業の祖とも呼ばれています。
た特許によるビジネスモデルを確立した最初の日本人です。
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